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小さなお話や長いお話、詩のようなお話、時々他にも何か。

犬のぬいぐるみ7

わたしはあの子がこのうちに入ったのを見たはず。見たような気がする。このうちだったような。ほんとにそうかしら?入ったのであれば、中に誰か居て居留守を使っているの?なんの理由で?門の前には相変わらず軽自動車が停まっている。もう一度玄関に立ち呼び鈴に指を当て、強く押す。

「はーい。はい、はい。」

足音に加えだんだん声が近づいてきた。一体全体、このうちの人はのんびりしすぎではないか。真冬にあんな小さな子が外にいても気づかないとか、送り届けてくれた相手に対してお礼の言葉ひとつない。お礼が欲しいわけじゃないけど、わたしはそれなりに誠心誠意つくしたのではないか。

あれやこれやと考えを巡らしているうちに、ガラリと引き戸が開いた。相手が何か、いう前にわたしが先に口火を切った。

「あの、先程、女の子を連れてきたんですが」

対応に出てきた女は髪を後ろにまとめ、私を訝しげに眺めている。それから、この人は何を言っているのかというふうにわたしの瞳をみつめてきた。

「えっと、小さい子。犬のぬいぐるみを探して落ち葉の上にいたので、一緒に探しました。でも、見つからないうちに日が落ちてしまったので、お宅まで送ってきたのですけど」

彼女はなおも私を見つめている。夜風に当たりすぎたせいか、自分の声が枯れ気味に聞こえた。胸の辺りが急にひゅうひゅう言う。

 

 

犬のぬいぐるみ6

送り届けたこと、犬のぬいぐるみを探して泣いていたことを話さないでいたら、まさに誘拐犯になってしまいそうだ。わたしは呼び鈴を捜す。

木に墨で書かれた氏名は風雨に晒されてだいぶやけている。微かに判読できるていどだった。その標識の下に御用の方は鳴らしてくださいとブザーがあった。躊躇いなくわたしはブザーを押す。静けさを破るように、うちの中で高らかに呼び鈴がなっているのが聞こえる。かなり大きな音だ、しかし、誰も対応しない。なり終わり、またしばらくまつ。音沙汰なしである。普通ならたとえあの子の世話に追われていたとしても、お客さんに対応するのでは?しかも私はお宅の娘さんを連れて来たのに、無視するの?少しむかいばらをたてる。もう一度ブザーを鳴らす。一回目と同じ対応が繰り返される。一度敷地を出て、門を確認する。今では珍しく引き戸式の玄関のガラスになってる部分からのぞいてみる。確かに灯りは灯っているし、あの子が入っていったのはこの家だ。

でも。まてよ、私はあの子がこのうちにはいったのをみたのかしら。

犬のぬいぐるみ5

「あたちのいぬ、どこにいっちゃったのかな。とっても大事なの。ずっといっしょだったから。」

うちが近くなり安心したのか、今まで黙っていたのにすらすら話すようになった。私はもう少しで、ひとさらいの様な私から解放されると考え始めていた。前方にぼんやり灯る玄関のオレンジ色の門灯が見える。狭い道を塞ぐように一台の軽自動車が停まっているのが見える。繋いだ手のひらが一瞬ぎゅっと力を入れられたように思え私は、前に車の停まっているうちがこの子の家だと無意識のうちに理解する。女の子を見つめると、女の子も私を見ている。

「あそこ、かな?」

女の子は、おかっぱに切り揃えられた頭をこっくりと頷いてみせた。長かったと私は思う。私の家とは反対方向だ、これから帰ったら夕飯の支度や、干したままの洗濯物を取り込んで、お風呂のお湯を沸かし、それから、それからと考えを巡らす。私の頭の中が、これから待ち受ける家事でいっぱいになった時、繋いでいた手がパッと放された。

手を離した瞬間、女の子はお母さんと呼んでかけていった。ここまで連れてきた経緯を話した方が良いと思い私も女の子の後を追う。思いがけず足が速いのか、わたしの体が重いのか、足がうまく上がらないのか、やっとの思いでぜいぜいしながら停車した車に寄りかかる。

 門灯は相変わらず柔らかなオレンジ色で当たりを照らしていたが、覗いたうちは白い電灯ひとつだけが灯るだけでひっそりしている。

あぁ、女の子を家中で探しているんだなと、わたしは思う。随分遠くまで探しにいったのだろう。

ハッとする、それほど大事になってるんだと。

犬のぬいぐるみ4

元きた道を2人して歩いていく。手を繋ぐ影はさながら歩行者専用道路を示す標識のようだ。ただあの標識は大きい人は帽子をかぶったひょろ長い男性のように見えるイラストだが。歩行者専用道路の標識イラストの都市伝説を思い出す。あれは、人さらいの男とさらわれていく小さな女の子を描いたのだ、というやつ。そんなわけあるかと思いつつ、言われて見るとそう見えたりする。すっかり暮れた道を一言も発せず2人して歩く。連れて行こうと考えた交番の前に来ると女の子はぐいぐい早足になった。よほど交番に行きたくないんだな。交番の入り口に立つ警察官に見向きもせずに歩く女の子と、ひっぱられるように前のめりに歩く私を警察官の視線が行ったり来たりするのを感じる。いやいや、お巡りさん、違いますよ、私、この子をさらってません。拾った?のですよ。おまわりさんに届けようとしたらこの子に拒まれて、結局、送る羽目になって、云々。などと、一生懸命独り言する。いつまでも追いかけてくる視線を背中に二つ目の脇道へ導かれるように曲った。大通りから比べたら街灯はぽつん、ぽつんと点るだけで、暗がりにかすかに落ちる木の枝の影が手を伸ばしているようだ。こんな真っ暗な中をこの子1人で帰らせなくて良かった。おそらく家族も探し始めているのではないか。妙な不安に駆られていることを察するかのような、合いの手を入れるタイミングで小さな声が聞こえた。

「もうすぐ私のお家」

その間にもノロノロと進む。

「おねえちゃん。あそこ。」

どこだろうと思いつつ歩いて行くが、街灯がない道には円い小さな影すら作れない。ポカポカと温かいのはつないだ手のひらだけでマフラーのない首元から外気が腕を伸ばし冷え切った手のひらを背中まで入れてくるようだった。

 

犬のぬいぐるみ3

ところがどこにも落ちていない。どうしても見つからない。けれど時間だけは過ぎていく。全く知らない子とふたり。沈んだ太陽の残光の中でそろそろうちへ送ったほうがよいと思った。

「もうおひさまもお家へ帰ってしまったから、私たちもお家へ帰ろうか」

すると女の子は、いや!とこちらがたじろぐほどの大きな声を上げた。ちょっとこれは手に負えないかもしれないと初めて感じた。

「じゃあ、お巡りさんのとこに行こう。犬のぬいぐるみを探してもらおう。」ついでにこの子も預けてしまおう。迷子ですと、伝えておいてこよう。黙っている小さな手をきゅっと握って歩き始めた。

「交番て、お巡りさんのこと?おまわりさんのとこいくと、また、お母さんに叱られるよぅ。」

交番に行くと叱られるという言葉に、交番に連れて行ったら、いぬのぬいぐるみ以外は解決するとわかった。つまり、この子は交番の常連さんで、交番では、この子についてどこの誰それがわかっており家族に連絡できる、ということだろう。

「お母さん、心配してきつくいうのでしょ?」

その子に言うと首を横に振る。季節から見たら少々薄着で別段あざやキズがあるとは考えられないから虐待受けている様子でもない。

「叩かれたりするの?」

先ほどより大きく首を横に振る。なら大丈夫じゃない、と独り言いい交番に行こうと歩き出すと今度はお地蔵さんにでもなったかのように動かない。西の空のあの美しいさまざまな色に変わる夕方の時間からかなりの時が過ぎ、辺りはすでに紺色で、さまざまな看板に灯りが灯っている。

「もう夜になっちゃって、ぬいぐるみを見つけるのも暗いから難しいよ。今日はおうちに帰って明日お家の人と見つけたらどうかな?」

まんまるのほっぺたは、りんごのように真っ赤で寒いのか、鼻水が垂れ始めている。私は自分のマフラーを女の子にかけた。200センチの長さのマフラーは当然のように小さい子には長い。頭からターバンのように、はたまた、私の父母の時代に流行ったマチコ巻きのようにして両耳を覆って首までくるくると巻いた。

「じゃあ、おうちはどちら。送っていくならどうかな。」

私をじっと見つめてからやっと首を縦にふる。

「交番、行かない?」

私は頷く。

「どっちの方かな?」

空いた手をぎゅっと握ると人差し指をまっすぐにして元来た道を指差した。

「あっち」と。

 

 

 

犬のぬいぐるみ2

 小さな冷たい手を握りながら、街路樹の根元やこの子の歩いてきた道を眺める。犬のぬいぐるみなんて、そうそう落ちているものではない。ということは、落ちていたら目立つはずだ。簡単な探し物だ。この子の来た道を辿ればどこかに落ちているだろう。進行方向からくる人に聞いても良いのかもしれない、犬のぬいぐるみをみませんでしたか?と。しかし、すれ違う人たちはコートの襟元を押さえてそれぞれ急ぎ足で過ぎていき、話しかけるすきもない。2人してキョロキョロ見回しながら歩いていくが、一向にそれらしいものは見当たらない。通りのビルを太陽が山吹色に照らし始めている。繋いだ手もだいぶ温まってきている。ふと、わたしは思った、小さな子を拾ったがこれは交番に届けなくてはいけない?のではないか、と。迷子みたいです、と、交番に届けた方が良いのではないか?と言っても今いるあたりに交番は見つからない。この通りの交番は、まだまだ先か、またはずっと後ろにあるのだ。

「そのぬいぐるみの大きさは、どれくらい?」

女の子はつないだ手をパッと話して両の手のひらを拍手する寸前くらいで手を止めて、ちいさく、んっと言った。わたしも、ん?とこたえる。しかしこれはかなり小さい、小さすぎるよね?も少し大きいよね?聞いておきながら自問自答する。

「とっても大事なんだね、犬のぬいぐるみ」

女の子は答えない。長々歩いているがぬいぐるみも見当たらない。次第に暮れていく歩道を二人で手を繋いで歩いていく。先ほどまで灯っていなかった看板に灯りが灯る。心なしか車の量も増えてきたように思う。不意に風がコートの裾を翻しあたりが冷えてきたように感じた。女の子に来た道を案内されながらどこかでこの子を待っている犬のぬいぐるみを探している。とうとう公園に着いた。

「ここであそんでいたの?」

二つのブランコに、滑り台が一つ。あとは砂場と申し訳程度に整えられた水飲み。そんなに広くない公園で、はぐれた友達を見つけるのも時間のものだろう。

犬のぬいぐるみ1

小さな女の子を拾った。

掃き集められた山盛りの黄色いいちょうの上にかがんで、なにかさがしているようだった。

どこかでみたことがあるように思えて、無視することができず。私は声をかけてしまった。しかし、その子は私に振り向きもせずに「犬のぬいぐるみを探しているの」とだけ小さい声で言った。

落ち葉をかき分ける度、あたりが一瞬だけ黄色に染まる。よほど大切なもののようであたり構わず巻き散らかしているように見えた。そんなに広くない歩道を様々な人が通りゆく。なぜか私となも知らぬ小さい女の子とを交互に見、訝しげに急ぎ通り過ぎていく。確かに、側から見たら私たちは歳の離れた姉妹のように見えるのだろう。

「ない」

おもむろに立ち上がり、私を見上げる瞳から涙が溢れ出す。

「犬のぬいぐるみがないの」

私は彼女に視線を合わせるためにしゃがみ、顔を覗き込む。まん丸のほっぺは真っ赤で、小さな顎の線に沿って真っ直ぐに切りそろえられたおかっぱの髪。なんでこんな小さな子が1人でいるのだろうと辺りを見回す。おかあさんとか、お父さんとか、いるんじゃないかと。しかし、それらしき人は見当たらない。

「犬のぬいぐるみがないの」

思わず手を取ると、ずいぶん長い時間そとにいたらしく氷のように冷たい。思わず手を引っ込めようとしたがぎゅっと縋るように握り返された手は離せない。その必死な様子に思わず

「どこを歩いてきたの?一緒に探してあげるよ。」と言っていた。

黙ったまま頷く小さな頭をみて不憫に思えてしまった。それで2人して歩道を歩き始めた。