kaunisupuu mekiss

小さなお話や長いお話、詩のようなお話、時々他にも何か。

その日父は。3

トイレから出るとお母さんに午後は用事があるから早く帰ってきてほしいと言われた。だいたい何時ごろ帰るのかと、尋ねてくる。むしろ何時に帰って欲しいのかと尋ねると14時には出かけるからという。今日は予防接種に行くのだと言う。何がそんなに楽しみなのか、俺は注射は嫌いだが、コロナに罹るよりはマシなのだろう。

 今から2年ほど前に中国武漢で発生したコロナウィルスにより世界はいっぺんしていた。おらの生活は変わらなかったけれど、消毒にとにかく気を配る日々が始まった。その間にも高齢者はバタバタ罹患し亡くなっていった。お茶の間の人気者だった俳優が亡くなり葬儀に至るまでの一連のテレビ報道から、予防接種が他人事ではなくなったのが事実だ。罹患したら完全隔離され、家族にも会えず、これと言った薬もないまま、1人死んでいくと、連日報道されていた。お母さんは、予防接種を打つスケジュールを立てた。一回ならずも二回目までも弱毒化したウイルスを体に植える。テレビなどでその予防接種を打っても、感染するとか、予防接種を打ったら死んでしまったとか、いろいろ取り沙汰されている。多少、不安になる。長く生きてきて目に見えない生き物の脅威を初めて覚える。手洗い、うがい。手洗い、うがいと毎日気にする。それからN29マスク。防塵マスクは毎日手洗いし消毒した。それでも足りないと三島にいる次女にも東京にいる長女にもきてくれるなと連絡をいれた。テレビや新聞では近所の人が近所の人を監視し、他県ナンバーの車に敏感に反応し攻撃するものすら現れたと報道されていた。こうした自警団について戦争中のことを思い出させられた。皆が言っていたのはウイルスとの戦争であり、良心や、正義についても問われる日々が続いていた。新型コロナウイルスは次々と進化を遂げ人智の及ばぬ域に常にあり、これまたSFのようだった。昔読んだ小松左京の本のようだと思った。

 そんな世界の話はとりあえずよい。軽トラに乗り込むとお母さんが路地の出口に立つ。うちの前の道を出る時、見通しが悪いからだ。

家政婦の仕事の順番を考えながら軽トラを運転する。ねえちゃんの家までは、住まいから5分くらいで着く。

「おーい!駒子、ゴミないか?今日は燃えるゴミの日だぞ。急げよ」