kaunisupuu mekiss

小さなお話や長いお話、詩のようなお話、時々他にも何か。

その日父は1

 その日、父は朝からいつものように従姉妹のうちに家事手伝いに行った。齢83とは思えないほど軽快な動きで、皿を洗い、掃除機をかけ、洗濯物を干す。仕分けしたゴミをゴミ捨て場まで運ぶ。風呂掃除にトイレ掃除、仏間掃除、玄関掃除。従姉妹の母が父の姉であり、昔から姉ちゃん大好きな父は、姉ちゃんが具合悪くなった時から、おさんどんを始めた。従姉妹としても共働きで事務所を経営している分、この年老いた家政婦をありがたく思い雇用し続けてくれていた。

 2月にしては気持ちの良い朝だった。もちろん布団から出る時は寒いけれど、まあ、いつもと似たような朝だった。真っ白い猫にご飯が食べたいと起こされ時計を見る。7時。起きても良い時間だ。今まで飼ってきた猫で初めて膝の上に乗り眠る猫。夢の中にも現れ猫の名前を寝言で呼び、その声に起きてしまうこともしばしばである。とにかく、にゃあにゃあ鳴いて、リビングに走っていくので、まずご飯をあげる。リビングルーム石油ファンヒーターの電源を入れる。カチカチカチカチと音がして温かい空気が吐き出される。カーテンを開いて朝日を入れる。ふと新聞受けに今日の日付の新聞を見つけ、取りに行く。ドアを開ける前に後ろを振り向くのは、随分前に後ろからついてきていた猫が開けたドアから大脱出をされ妻にどやされたからだ。幸い、猫はお食事中。気を許すことなく、ドアを閉める。新聞受けから、まだインクの匂いがする新聞をとりだす。ぶるぶるっと、立春を過ぎてもまだまだ冷たい空気に一瞬に肺が震えた。風邪ひかないようにしなくてはと、重厚なドアに手をかける。その際、不意に表札に視線を移す。随分古ぼけてしまった、と思う。そうだ、近々新しい表札に変えよう。次は木ではなくて、そうだなあ、もっと違うのも良いかもしれない。ホームセンターで見たお母さんがステキと言っていたあの、モダンな感じのやつなんかどうだろう。いやまて、へんに変わったやつにするよりまた、木に書こうかな。ちょっと変わったことをするとまた長女にからかわれるからなと思う。普通に吸い込んだ空気の、思いがけない冷たさに咳こみあわてて玄関の扉を閉める。だいぶ温まったリビングの食卓に新聞を置く。もう少ししたら起きてくるお母さんのためにお湯を沸かしておこう。ふと仏壇をみる。そうだお婆ちゃんにご飯をあげなければと思う。時代は変わったもので、水を電気ポットに入れスイッチを押し10分待つかまたないかでお湯が沸く。自分の子どもの頃から考えたら想像もできはしない。そうだ、小松左京の本の世界ならあったかもしれないが、そうでもないかもしれん。映画で見た世界かな?ま、いいか。とにかく世の中は便利になったのだ。いちいち考えることはないか。良くなったんなら良いで、良い。仏壇に、新しいご飯を供え、お茶を添える。ガラスのコップにお水を汲みそなえる。ん?グラス、また変わったかな?前のは、長女が帰ってきた時、割って新しくしたよな、これはまた違うような気がするが。ヨシとしよう。ろうそくを二本立て火を灯す。ニ本の線香に火をつける。ずっと煙が立ち上りやがてくねくねと揺れる。昔飼っていた猫に、仏壇の前に自分が座るとなぜか隣にやってきて、読経の間微動だにせず座っていた猫がいたことを思い出す。それで今朝自分を起こした猫を振り返ると、ぺろぺろと体を舐め毛繕いしている。視線に気付いたのかなめるのをやめて食卓の上からこちらをチラリと見た。

視線があったから猫の名前を呼んでみる。口をかすかに開けただけで、にゃあともいわない。気を取り直して般若心経を詠む。