kaunisupuu mekiss

小さなお話や長いお話、詩のようなお話、時々他にも何か。

仏師の話 小さい物語①

 もともとは いくさから逃れるために村を出た。歩いても歩いても
いたるところに、弔うものもないままの野ざらしの屍体があった。
俺は、いつも腹をすかしていた。穴だらけのぼろの着物と、擦り切れた草履。
行き倒れの死体が、生きている者の身に付けているものより、少しでも良いものを身に付けていると、年齢も性別も関係なく、だれも彼もが屍人からあらゆるモノを盗った。俺は、野ざらしの死体も、屍人から何かしら奪う人間も俺は、おそろしかった。
しかし、時間が経ち 見慣れてしまうと、 朽ち果てた死体にいちいち驚かなくなる。
むしろ、どこまで行っても誰とも会わないようなだだっ広い野原を歩いていると、
ざらしの屍体にすら、俺は懐かしさを覚えた。
少し変な話かもしれないが、出くわした死体には、立ち止まり、近寄ってどこからきたのだ?とか なぜここで死んだのだなどと、話しかけるようになった。

 いつのころからか、 俺は、野ざらしの死体に話しかけた後で、花を摘んで手を合わせるようになった。
花のない時期には棒きれを見つけ、ちょどその頃拾った小刀を使って、花の形に傷をつけ花にみたてて供えた。
ある時、花の形につけた傷をもう少し深くなぞってみた。すると、彫っていくうちに棒きれが本物の花のように仕上がった。花が彫れた。俺はうれしくなった。上出来ではないにしろ、これ以降、時間がある時には、花を彫る作業に夢中になった。

 村がどの辺りだったのか、思い出せない程 時間が過ぎた頃、無心に石を彫る男をみた。男は、 ブツブツ呟きながら、たった1本ののみで石を彫っている。そして石を彫る間だけは、灰色のざんばら髪を木の皮で結っている。聴いたこともない言葉を唱えて、石を彫り続け、一つ彫りあがると、道の端に据える。据えてまたしばらく何かを唱え、その後、豪快ないびきをかいて眠る。石を彫っている間はいつ寝ているのかわからなかった。
目が覚めると、 わずかな休息の後また 移動する。男が立ち去った後には、いつも石仏が厳かに据えられていた。俺は、男の作った石仏をじっくり観察する。
男の石仏と向かい合う時、俺は、胸のあたりにホッと明かりが灯るような心持ちになった。男の石仏はどれも、どこかであったような不思議な気持ちになった。確かに
見覚えがあるのに わからなかった。

 俺は、男の石仏が好きになり、男の後を追いていくことにした。
一定の距離を保って見失わないように、でも気づかれないように 注意深く、後をついて行った。とにかく、近過ぎず離れ過ぎないように注意した。男についていくと、寺社に置く石仏を彫ったり、行き倒れの屍体を埋めた上に 据える石仏を彫手散るのが分かった。石の仏はどれも穏やかな笑みをたたえ、その表情は、いつも俺を温かい気持ちにした。

行き倒れの死体や戦に巻き込まれ死んだ人は、野原にあるだけでなく、人通りの多い場所にもあった。男は、体格が良いわけでも若いわけでもないのに、手際よく屍体を弔った。
石仏が彫り上がり男が去った後、俺は自分で彫った花を供絵、手を合わせた。
男の石仏と比べたら無惨ではあるが、いくつか彫っていくうちに、だんだんそれらしくなっていくのが楽しかった。

男の手によって石から彫り出された仏は、生きているようだった。
じっと見ていると 話だしそうだった 。自分で彫った花を、供えながら俺は考える。
どうしたら こんな風に彫れるのか と。
ある日、俺は勇気を出し声をかけてみようと近寄った。
男はちょうど仕上げの一彫りを済ましのみを置いたところだった。
「何か 御用か?」
唐突に 男に声をかけられた。たすき掛けにした麻の袖を戻しながら、男は出発の支度を進めていく。
「もうだいぶ前から、お前が付いてきているのは承知している。何か用があって 私の後をついて来るのか。」
俺がしどろもどろしている間にも男は身支度を整えていく。今回は珍しく、休息をとらずに出発するようだ。
すっかり整え終わると 俺を振り返り
「用がないなら 先を急ぐので。」
と言った。
「いつも 何を彫っているの?」
俺は小さな声で、男の足元を見ながら尋ねた。
「・・・仏を彫っている。たまに観音も彫るが、多くは仏を彫り出している。」
「仏と、観音?」
たしかにいつもの石仏とは違うものを彫っている時があるのは知っていたので、ああ、あれは、観音と言うのかと納得する。
「私は仏師。旅の途中で 亡くなった者、いくさに巻き込まれ亡くなった者、病や飢饉で亡くなった者を弔うのは修行の一つ・・・」
俺は 仏師の話を遮るようにひざまづいた。
「俺に彫り方を教えて欲しい。」
仏師の視線を感じるが 、俺は顔を上げられずにいる。辺りに俺の心臓がばくばく言っている音が響く。
俺は、仏師の言葉を待つ。
「私には、教えられるような技量はない。だが、ついて来れば おまえにとって、なにか、得られるものがあるかもしれないと、考えるのであれば、ついてくるのもよし。」
と言った。
俺は顔を上げた。辺りに鳥のさえずりが広がる。聞き間違いではなかろうかと、仏師を見る。
「出発するぞ。」
俺は立ち上がり、歩み始めた仏師の後を追う。
「お前をなんと呼ぼうか?」
仏師は、振り向きもせずに言う。俺は名前を名乗ろうとしたが声がでなかった。
「黙っているところを見ると、お前は自分の名前がわからないのだな・・・」
俺は、名前が分からなかった。
俺が考えているのをみて仏師が言った。
「長い間、誰とも話さないでいると向かい合うのは 己れだけ。そのうちに名前を忘れてしまうこともあろう。仕方ないことだ。」
俺は、そういうものだろうかと考える。
「そのうち、思い出すだろう。」

 腹が空くと 仏師は食べ物をくれた。俺は、食べ物を探さなくてもよくなった。 
眠くなると仏師の傍らで丸くなり、眼が覚めれば、仏師がいて昼夜を問わず、無心に彫り物をしている。そばにいて、話しかけてくれることもある。仏師の傍らで、おれは、今までのように、風の強い日に木の葉の揺れるガザガザと言う音や、獣の鳴き声な度を含め、不意の物音に目覚めることもなくなった。

仏師の手によって 彫り出される様々な仏は どれも穏やかな眼差しをしていた。
仏師の表情は変わらず 彫っている間は、仕上げの一彫りの のみを離すまで、何も口にせず、ただぶつぶつとつぶやいている。
俺は、仏師が手を動かしている間耳を澄まし、仏師の言葉を拾おうとする。一つとして聞き漏らさないように、耳を澄ますのだが何を言っているのかわからなかった。
そして、仏師の動かすのみを、その手をじっとみていた。
ある日、彫り終えた仏師にいつも何を呟いているのかと尋ねた。仏師はただ一言、経文だと答えた。経文とは、何か?と尋ねると、
「自分の弱さに迷わぬための祈りの言葉。無くなってしまった魂を鎮めるための言葉でもある。」
と答えた。俺は考える。彫っている間中、寝食を取らない仏師のどこに弱さがあるのか。
すると 仏師は俺をまっすぐに見てこういった。
「菩薩は石に眠っている。正しくいうなら、彫っているのではなく石から菩薩の意思を聞き取り、感じ取り、菩薩の形へ戻していく。」
仏師は 低く囁くような声で続ける。仏師の言葉の合間に、どこか遠くから水の流れる音が聞こえてくる。
「いつの世も変わらず、いつまでも変わらず、人々は苦しみの中にいる。人々を苦しみから救いたいと願う、菩薩の御意思を石から解き放ち、観世音菩薩としてのお姿にお返しするのが、仏工としての使命。」
空で天女が歌うような午後だった。仏師はそういうと、背中を向けて横になった。

いつも、たった1本ののみを巧みに使って、仏師は、器用に菩薩を彫り出していく。
菩薩を彫り出し、しっかりと据えると改めて一度 読経する。
菩薩を一つ彫りだすたびに、なんとなく微かに仏師が小さくなるように 感じていた。ある時、仏師に感じたことを伝えると、
「お前にはわかるのだな。」
と返した。そして一呼吸おいて
「お前が彫る花は、荒削りで素晴らしく美しい花とは、とうてい言い難い。
けれどお前が何を思って花を彫っているのか、気持ちが伝わってくる。 
それはな、仏工として一番大切な資質だ、大切にしなさい。」
と言った。俺は、はにかんで下を向く。
すると 仏師は、おもむろに棒きれを、俺から取り上げて、花を彫り出した。 
花を彫る仏師を見るのは初めてだった。
「いつもお前は、この辺りから茎を掘り始める。
ちょうどこの辺に、いきなり小刀を入れだろう?そうではなく、まずこれから彫ろうとする花の、全体の均整を考えるのだ。ごらん、こんな風に。」
俺は、目を見張った。夢中で仏師の手先を見つめる。やがて仏師は、キキョウの花を見事に彫りあげ、俺に差し出した。手渡された花は、もとはただの棒きれとは思えぬほど 端正な作りだった。
見ているうちに薄い紫色をしたキキョウの花そのものに思えて目をこすった。
キキョウの香を、不意に感じたのだ。
「のう、花は、口をきかない。口をきかないから、何も考えていないと思うか?
花は、昨日も今日も同じ場所に咲いている。同じ場所にいて、動かないから死んでいるのか?そうではないであろう?花は、話さなくとも想いを持っている。
そして、その思いの通りに花は、咲く。お前は、花の思いを感じ取り、彫り出せば良い。」
俺は、花の気持ちを考えたことはなかった。
「花にも思いがある、花にもいのちがある。花の思いを込めて彫る。」
俺は、今まで 何を彫っていたのか。
俺は、棒きれを拾い、懐から小刀をとりだし棒きれにあてた。
今、目にした仏師の仕事を忘れないうちに、言葉を用いない花の思いを形にする。
夜が更けるのも忘れて一心に小刀を動かした。東の空がやんわり明るくなり、スズメのさえずりが聞こえる頃、初めて俺は 一つの花を彫りあげた。
仏師は、すでに浅い眠りについていた。
仏師は 納得いくまで石と向かい合いのみを振るう。俺も納得いくまで花を思い、花を彫る。花を摘むのではなく、花を彫り菩薩に供える。花は、季節を告げる。
青一色の透き通った空に向かって、どんなに小さな花であっても、その時々にひっそりと季節を告げる。仏師と俺は 菩薩を彫り出すために一つの場所に何日もとどまった。菩薩を彫り出しながら進む旅路は、なかなか進まなかった。目指す場所もないと俺は思っていたのだ。
ある日 ノブドウが順々に色を変えているのをみて、季節が巡ったのを知った。
雁が列をなして 真っ赤に染まった西の空を飛んで行く、その下に小高い丘にある山門が見えた。 
仏師が立ち止まり、指をさした。
「あの場所。私はあの場所が、終のすみかとなる。」 
と言った。
俺は師のまっすぐな背中を見ながら声に出さずに、心の中で、あの場所と仏師の後に続けてつぶやいた。あれが、仏師の終のすみか。
近頃の仏師は 歩きながら 時折 立ち止まりため息をつくのが増えていた。灰色の髪は日に日に白くなってきていた。
あと 少し歩けば 仏師の旅は終わるのだ。
「ついのすみか・・・」
俺は声に出してみた。仏師は俺の言葉を、あえて聞いていないように話を続けた。
「あの寺では 今までのように石から仏や菩薩を彫り出すのではなく、土から菩薩を作るのだ。」
「土?土で作るとは、雨に流されてしまうのでは?」
俺の言葉に師はかすかに笑った。
「風雨にさらされなくて済む所に納めるのであれば、あの寺の屋根のあるところに納められるから土から作り出しても平気なのだよ。」
俺は一瞬うつむき、それから顔を挙げて、仏師のぴんとした背中を見る。
「師よ、終の棲家とは、なんですか?」
仏師の言葉を反芻しながら、ゆるい傾斜を歩いていく。
だいぶ山門に近づいて来ている。
辺りが少しずつ暗くなっていく中、仏師の言葉を待っている。仏師を見失わないように師の背中を見ている。髪は白くなっているが、初めて見た日と変わらず、背は、まっすぐに伸びている。
遠くで鳥が鳴いている。
「ついのすみか、とは、旅の終わり。あの寺で、私は残りの時間を過ごすのだ。菩薩を土から生み出すのだ。」
旅の終わり―俺は、旅の終わりが意味することが分からないでいる。それを知ってか知らないでかはわからないが、仏師は珍しく話を続ける。
「今まで私は、私が感じた菩薩の思いのままを、石から彫り出してきた。だが、これからは、土から作る。」
と不意に師の声が小さくなる。
「あの寺から先へは、お前はいけない。私、独りとなる。」
俺は立ち止まり、耳を疑う。
「お前は、 あの山門から中へは行けぬ。」
俺は、師の言葉に耳を疑う。
「わかりません。 何をおっしゃっているのか?わからない。」
師は、俺の言葉に立ち止り振り返った俺が入れない山門が、もうすぐそこにみえている。今までで見た中で一番立派な門だ。あの門から先へ、俺は、行けない。
「そうだな。わかるまい。」
俺の頬を温かい雨粒が濡らす。俺は曇ったまなざしで空を仰ぐ。
かすかに星が輝いている。俺の頬には 雨が降っていると言うのに。
「山門をくぐれないなら 山門の外で師を待ちます。山門の外に住まいます。そこで、今までのように、棒切れを拾ってきて花を彫って、師のいらっしゃる野を待ちます。」
師は、首を横に振る。
「それもできぬ。」と。
俺の頭の中は大嵐で 俺の頬では大雨になっている。
「泣いているのだね。」
師の腕が伸び、俺の頬に掌が触れた。ふと俺は自分がとても小さな子のように思えてきた。誰かに、こんなふうに触れられるのは、初めてだった。
仏師の掌は、俺が思っていたよりもずっと温かだった。
「のう、名前は思い出せたか?」
俺は、師を見つめた。
名前を忘れていたことを思い出す。
名前を、思い出せなかったことは 思い出せたが、肝心の名前は、思い出せない。
「思い出せないであろう?」
答えられずにいると、大きなゴツゴツした掌が頭を撫でる。
「だがな、思い出せないのは、お前だけではない。死出の旅に出たものは皆、名前を思い出せなくなるのだ。」

 俺は、師と旅に出たがそれは、死出の旅ではなかった。はずだ。
俺の言葉に 師は、俺の頭をなでながら続けた。
「お前は、覚えてはおるまい。私が、初めてお前を見かけた時のことを。お前は自分の小さな遺体に向かい、話しかけていた。今まで、自分の死体を見つめる者はたくさんみたが、お前ときたら、まるで他の人に 話すように 話しかけていた。」
「それから、花を摘みとり手を合わせた。私は、亡者が 祈るのを初めて見た。まだあどけなさが残る、お前を遠巻きに見ながら、気づけば 私は、お前のために小さな仏を彫っていた。」
俺は、思い出そうとする。
「お前に似せて仏を作ってから、お前は 私の後を ついてくるようになった。 
まるで生まれたばかりの鳥が親の後を追うように、とうとうこんな遠いところまで。」
俺は、師の話を聞きながら、俺自身のことを思い出さなければと必死だった。
仏師は、再び歩きだす。俺も早足で後を追う。
離れなければならない場所へもうすぐ到着してしまう。それでも仏師は、進んでいく。前だけを進みながら、仏師はつぶやく。
「お前とは行けないのだ。あの山門の向こうには。 山門には目には見えぬ線が引いてあり、お前はそこから先へはいけない。私は、約束しよう。最初に作る仏は、お前の輪郭そのままの物を作る。寝る場所や 食べ物に、この先 ずっと 困らないようお前の居場所を作る。」
俺は、師の言葉を理解しようとする。
「いつか 沢山の民が、お前に会いに山門をくぐる。彼らは、お前に会うたびに、心がなぐさめられ、いつしか誰にでもやさしくあろうと思う。おまえに瓜二つの仏は 
おまえの生きてきた証となり、お前に新しい名前をもたらす。その名前こそ、 真のお前の名前。やがて、お前の面影を持つものが現れお前の生きた時を思う。お前のために祈る。お前の面影を持った者を見る時お前は、一番幸福だった時を思い出す。」
師の進む先に 山門が見えた。俺は、俺の真の名前なんていらないと思う。
俺の心は言葉にしなくても、師は、ご存知だと、俺は理解している。俺の思いを知って、なお足早に山門を目指し 俺と離れる時へ師は歩みを進めている。
俺は、師の後を遅れまいと歩いた。師の背中を見ながら、ふと、師を想う。
仏師が俺の名前を知らないように、俺も師の名前を知らなかった。
「師よ。あそこから先、あなたと行けないのであれば、あなたの名前を教えてください。」
遠くに見えた山門がいま、目前にあった。仏師は、なんなく山門をくぐった。俺が後に続こうとすると、立ちはだかるように立ち止まり、仏師が振り返った。
寺と俺の間にある山門に立ち、俺の額に温かな掌を当てた。一瞬 全ての音が止まり師の声が耳に広がる。
「私の名前は萬(よろず)」
萬のほおを一筋涙が駆け下りた。小さな涙の滑り落ちた先に、紫の桔梗の花が咲いた。小さな花の花弁を揺らして水滴は地面に落ちた。萬は桔梗な花を摘んだ。

 俺は数えで14歳だった。物の焦げる匂いで目を覚ました。干し藁の中から飛び出すと、村のあちこちから火が出ていた。いつも気にかけてくれた婆が、俺を見つけて
逃げろと口を動かした。村のあちらこちらが妙に騒がしい。 俺はわけもわからず走った、騒がしいのではなく、あちこちから悲鳴が上がっていたのだ。
神社の近くで倒れていた女の子に見覚えがあった。 今日の昼間、一緒に畑を作った子だった。その子の名前を呼んで駆け寄った。揺り起こそうとして、顔を覗き込んだ 瞬間、俺の背中を斜めに、今まで 味わったことがない痛みが走った。
前のめりで女の子の上に どぅと 倒れ込む。記憶が飛ぶ。気づいた時には、むせかえるほどの血の匂いの中にいた。自分の血で溺れそうになりながらも、まだ心臓はかすかに動いていた。痛みで呼吸が荒くなる。誰かに乱暴にひっくり返されて、懐に手を入れられた。なにもねえ、とそいつは言った。舌打ちが聞こえる。
俺は、最後の力を振り絞って、懐に入れられたそいつの手をつかんだ。
そいつは、みっともないくらい大きな悲鳴を上げて 、まだ生きてやがると言った。俺の手を振りほどこうとした。俺は腕に鋭い痛みを感じる。遠ざかる意識の中で目に映ったのは 俺と似たような年頃の男だった。乾いた目に、青い空が映り、そのすぐ後で青空は翳った。
俺は俺の最期を見ていた。俺の両目は見開かれのばした指の先に、黄色い花が揺れていた。気がつけば背中の痛みは消えていた。こころなしか身体は軽くなっている。
俺の目の前に朽ち果てた死体があった 。みすぼらしい着物の切れ端が見える。
屍体の伸びた腕の先に黄色い花が咲いていた。俺は、花を摘んで屍体に供える。
「かわいそうに、何があったんだ? どこから来たんだ?なぜ死んだんだ?」

 山門をはさんで、こちらにいる俺の額に手を添えながら ゆっくり地底から響くような声で、師は経文を唱える。掌は温かで、そのぬくもりを意識すると 何も気にならなくなっていく。仏師の はるか後ろにぽおっと明かりがともり、だんだん近づいてくるのが視界に入った。ふわふわと茅の穂が飛ぶように俺の耳に、仏師の 経文を読む声が聞こえる。
「南無観世音菩薩・・・」
仏師の背後から 迎えの者の声がした。
「遠いところをよくいらっしゃいました。お疲れでしょう。さあ 参りましょう」
仏師の頬を涙が伝わった。
「いきものすべて、生まれてくる時も、 死んでいく時もひとり。」
俺はまぶたを閉じ、手を合わせた。

このキキョウは、何回目のキキョウであろう。季節ごとに、キキョウの花は開き、私に遠い日を思い出させる。たくさんの仏や菩薩を彫ってきた。けれど、私の一番の幸せは、お前と旅をしたあの時間に凝縮されている。
今日、私は、お前に瓜二つの若い仏を奉納する。これから先、たくさんの時間が流れ、仏師である私の記憶が消えてしまっても、私はお前を奉納することができる喜びに言葉もない。多くの民が、お前に会いにこの寺を訪れる。
お前に会いに来た民は、おまえに癒され 帰って行く。いつか その民の中におまえによく似た少年もやってくる。光となり、風となり、私はおそらく少年に尋ねるだろう。
「お前の名前は?」と。